ねじまわしを握って40数年!

こんな写真が出てきました。昭和30年半ばですね。

ドライバーを握ってもう40数年 50年近くなりましたね。
父親が旋盤工だったのと 工場が家の隣でしたのでそういうものは
いつも目の前にあったんですね。
おもちゃといえばドライバー・ペンチなどなど工具でした。
もちろん半田コテも・・。
写真でバラしているのは5球スーパー受信機でしょうか。

家の隣が工場だったもので 材料を削ったり組み立てたりして
品物が出来上がって行くのを毎日見ていました。
おもちゃもなかなか買ってもらえなかったので 遊び道具は
買うのではなく作るのは当たり前の環境でもありました。
でも 学校に上がり友達の家に遊びに行くとテレビで見る
おもちゃが有ったりすると「いいな〜!」なんて思いましたが
それでもだいぶ遊び道具は自分で作りました。
たまには買ってもらっても2〜3日で分解してしまう状態でした。

そのもので遊ぶより構造が知りたかったのだと思います。
そしてそれを参考にして別のおもちゃを工作する子供でした。

そうしている内に近所から壊れた時計やラジオ・電蓄などが
集まってきました。
親戚に遊びに行くとすでに用意(壊れ物)してあったりしました。

この頃を語ると長くなりますので、この辺で第一部の終了とします。
また近いうちに第二部を。